猫演出研究各論D-IV

 日曜日にアニメ専門チャンネルANIMAXで放送された『じゃりン子チエ 劇場版』を観た。81年公開、監督はあの高畑勲である。DVDとブルーレイが“ジブリがいっぱいコレクション”より発売中。レンタルでもジブリコーナーにあると思われます。(正確に言うと、これはスタジオジブリ設立前の作品なので“ジブリ作品”と呼ぶのは間違いです。『カリオストロ』や『ナウシカ』も同じく。) (ZAZEN BOYSの『CHIE chan's Landscape』という曲はこの『じゃりン子チエ』のチエちゃんをモデルに歌詞が書かれているということは言うまでもない。)

 前々からいつか観よういつか観ようとは思っていたのだが、なかなか機会に恵まれず(自分から行動を起こさないからだ)、今回が初の鑑賞となった。結論から言うと、「素晴らしい!」だ。映画を観終わった後に拍手してしまった。こんなのは久しぶりだ。

 どんな点が素晴らしかったのか、それはこの映画を観た人に直接口で説明(熱弁)したいので詳述はなるべく避けるつもりだが、ここから先は長くなるので忙しい人のためにまず結論を。

「この映画を観て絶対損はありません!笑います!猫好きは必見!猫がかわいくてコミカルでかっこいいです!」


 ジャンルをあえて当てはめるなら、“下町人情コメディ”と呼ぶしかない。がしかし、俺に言わせてみればこれは“偉大なる猫映画”である!!これほどまでに猫がいい味を出している映画を俺はほかに知らない。(あえて言うなら、押井守監督時代のテレビ版『うる星やつら』におけるコタツネコとトラジマの存在感はこの映画の猫演出に近いものを感じた。もしかしたら押井さんがこの映画を参考にしたのかも?)

 猫とは何か。猫とは猫である。猫の良さとは何か。それは猫らしさである。しかし、アニメにおけるキャラクターとしての猫に関してはその限りではない。徹底的に猫らしく、しなやかな身のこなし、人間に媚びない態度などを描いた上で、その猫が急に二足歩行をしたり、腕組みをしたり、人語を解するかのような反応をしたりするとどうなるか。そう、そこには笑いが生まれる。本来あるべきものが見る者の予想に反する様相を呈した時、驚きと共に笑いが生じる。また、この効果をさらに強めるために、そして人間的行動を何回繰り返しても観客に飽きられないようにするためにはどうすればいいか。そのためには猫を取り巻く人間キャラクターが猫を人格を持った人間として扱うと同時に単なる動物・ペットとして猫を扱うということを絶妙なバランスで両方行えばいいのである。“猫のようで猫でなく、人のようで人でない、が、やっぱり猫”状態を作り出すのだ。そうすれば、その猫が妙に猫らしい動きをしても、人間みたいな動きをしても滑稽に見えてくるのだ。

 ・・・というのはまぁ半分冗談で、とにかく面白い!笑える!そりゃ人情モノだからしんみりする所もある。この映画の優れているところは、人情モノだからといって過剰に“お涙頂戴”を満載したり、劇場版だからといってやけにスケールのデカイ話にしたりすることなく、ギャグと笑いをいっぱいに詰め込みながらも、人情路線とギャグ路線のバランスが取れた娯楽映画として成立している点である。こんな素晴らしい映画を現代の日本映画界(特に実写)が生み出すことができるだろうか!!さすが高畑勲監督である。

 他にも作画や背景美術、音楽、脚本など褒めようと思えばキリが無いので、最後にキャスティングについて。この映画には「声優として豪華芸能人が多数出演しています!」・・・と聞くとどうもマイナスイメージを抱いてしまいそうになるが、もちろんこの映画は現代にありがちな忌むべき話題性優先のキャスティングとは一線を画している。その豪華有名人とは、西川のりお芦屋雁之助、桂 三枝、笑福亭仁鶴島田紳助松本竜介オール阪神・巨人ザ・ぼんち横山やすし西川きよしといった吉本を代表する人気お笑い芸人たちなのである!彼らがこの映画にもたらしたものはもちろん話題性もあるが、さらに大きかったのは“ホンモノの大阪弁”である。映画の舞台は大阪の下町。素朴さと人情味と生活感といい具合のガサツさを併せ持った大阪弁を嘘臭くなく喋るというのはいくらプロ声優であろうとも、生まれたときから大阪弁に慣れ親しんできた大阪吉本芸人たちには適わない。というわけで、この吉本芸人たちの素晴らしい演技はこの映画の大きな魅力の一つとなっている。そしてこの映画最大の魅力である猫の声をなんと、やすきよの2人が担当しているのである!このコンビがまたいい味出していて最高である。

「アニメがジブリとオタクだけのものになる前の時代が生んだ名作です。」と言わせてもらいます。


 もちろんアニメがジブリとオタクだけのものになったというのは極端な表現だが、あながち的外れでもないと思う。アニメは時代を経て様々なジャンルを扱うようになり、CGなどコンピューター技術を得ることで表現の幅を広げたはずだが、かつてのアニメが持っていた“普遍性”を失いつつあると思える。そのかわりに押井守今敏などが大人向けの“実写を超えるアニメ映画”を次々と世に送り出し、アニメの新たな可能性を見せつけ、海外で高い評価を得た。しかし、子供向けとは決して言えない彼らの作品がジブリアニメのように大ヒットすることは当然なく、国内でそれほど高い評価を受けることもなく、一部の映画ファンやアニメファンたちにしか愛好されていないという状況は少し寂しい。

 要するに、何が言いたいのかというと、この『じゃりン子チエ』のように子供から大人までが楽しめるような“普遍的娯楽映画”を生み出す力が本当にもうアニメには無いのか?ということ。俺はまだ希望を捨てていない。今敏監督の次回作はそういった普遍的なものになるとかならないとか(現時点では情報はほとんど出されていない)、もしかしたら今監督最大のヒットになるかも?

 少なくともアニメ邦画界は実写邦画界ほど腐ってはいない。がんばれアニメ!俺は応援しているぞ!