『スカイ・クロラ』DVD&Blu-ray発売&レンタル開始

neko-vs2009-02-25

 私が4回劇場に足を運んだ映画『スカイ・クロラ』のDVDとBlu-rayが本日発売され、同時にレンタルも開始されます。

 「ホントに見る価値あるの?」という懐疑的な方も、「アニメはジブリしか見ない。」という頑迷固陋な方も、「映画館で見るなんてお金がもったいない。」という質素倹約な方も、これを機会にレンタルで御覧になってみてはいかがだろうか?

 ただし、この映画を観て好きになった方はきっともう1回観たくなるでしょう。そういう映画です。その場合は仕方ありません、DVDかBlu-rayを買いましょう。

 今までの押井映画は1回観ただけではその良さが分からず、3回目くらいから急激にその虜になっていき、それからは何度でも繰り返し観たくなる、という一般向けではないマニア向けの作りのものが多い、というイメージがあるでしょう。しかし、『スカイ・クロラ』に関しては違います。ドラマもある、濡れ場もある、恋愛が顕在的に描かれている(『イノセンス』でも『パトレイバー』でも恋愛は描かれてはいますが、直接的な表現は意図的に避けられてきました)、なおかつ哲学的テーマも同時に盛り込まれた映画です。観る度に味わいが深まるという押井映画の条件を満たしつつ、一般的な映画を見慣れている多くの人々にも広く支持されるような作品になっています。

 「ナウシカみたいにキャラクターの感情やドラマを通して人類や人間といった大きいテーマを表現するのはちょっと違うんじゃないか?」と以前発言していた押井さんが「一度ちゃんとドラマを描いてみようと思った。」と従来のスタイルを封印して作った映画、それが『スカイ・クロラ』です。

 この映画を初めて観た時はおそらく、ドラマの部分に目が行き、涙を流す人もいるでしょう。そして、一通り物語を把握してからもう一度この映画を観ると、表層的なドラマとはまた別のものを発見し、新たな感動となって、観る者の心を揺さぶります。ちなみに私が涙を流した映画はことごとく2回目以降の鑑賞の時に涙を流しています。そして、不思議なことに、観る度に涙腺が緩むポイントが変わるのです。私はそういう映画こそ本当の映画だと思います。泣ける映画が良い映画という意味ではありません。ここでいう「涙」は「鳥肌」や「感動」と置き換えても同じことです。涙はあくまでメタファーです(事実、涙といっても、目が潤む程度。本意気で泣いたら画面が見えなくなりますから)。ここで大事なことは「前に観た映画でも、観る度に違うことを感じることができる。前に観た映画だからって、次に観る時に見えるものは同じじゃない。」ということです。だから私は4度劇場へ行ったのです。

 ここで、皆さん大好きスタジオジブリの頭脳=鈴木敏夫プロデューサーの言葉を紹介しましょう。
「映画には2種類ある。全部見せてくれる映画と自分で考えることによって初めておもしろくなる映画。わかるものはわかる。わからないものは残しておいて自分の中で反芻すればいい。そうすれば映画はもっと豊かなものになる。」

 さらに、押井さんの言葉も紹介します。
「(映画を)何回観ればわかるかは、何をそこに見たいかによって変わる。100回観ても、求めるものが無ければ何回観てもわからないと思う。僕は映画はわかることが大事だとは思っていない。その映画を観て何を感じるかが大事。わかりたいんだったらアメリカ映画を1回観ればすぐわかる。100人いれば100人がわかるように作られている。それは逆に、100人同時にわかることしか語れないということ。」

 いやぁ、さすがですねぇ、2人ともズバリいいこと言いますねぇ。彼らに言わせると、「こんなのはド正論であって、今更言うほどのことではない。」らしいですが、このことを理解している映画監督やプロデューサー、そして観客がどれだけいるのでしょうか?甚だ疑問です。

 この映画に何を求めるか、それは人それぞれでしょうが、少なくとも、永遠の切ない恋、かっこいい戦闘機の空中戦、緊迫した命の駆け引き、戦争の本質、大人の本質、異国の美しい風景、バセットハウンドのかわいい仕草、気休めではない真実の希望、これらのうち一つでも興味があればこの映画は観るに値するでしょう。

映画『スカイ・クロラ』の台詞より
「昨日と今日は違う 今日と明日も きっと違うだろう
 いつも通る道でも 違うところを踏んで歩くことが出来る
 いつも通る道だからって 景色は同じじゃない」

 最後にもう一度繰り返します。
「前に観た映画でも、観る度に違うことを感じることができる。前に観た映画だからって、次に観る時に見えるものは同じじゃない。」

猫演出研究各論D-IV

 日曜日にアニメ専門チャンネルANIMAXで放送された『じゃりン子チエ 劇場版』を観た。81年公開、監督はあの高畑勲である。DVDとブルーレイが“ジブリがいっぱいコレクション”より発売中。レンタルでもジブリコーナーにあると思われます。(正確に言うと、これはスタジオジブリ設立前の作品なので“ジブリ作品”と呼ぶのは間違いです。『カリオストロ』や『ナウシカ』も同じく。) (ZAZEN BOYSの『CHIE chan's Landscape』という曲はこの『じゃりン子チエ』のチエちゃんをモデルに歌詞が書かれているということは言うまでもない。)

 前々からいつか観よういつか観ようとは思っていたのだが、なかなか機会に恵まれず(自分から行動を起こさないからだ)、今回が初の鑑賞となった。結論から言うと、「素晴らしい!」だ。映画を観終わった後に拍手してしまった。こんなのは久しぶりだ。

 どんな点が素晴らしかったのか、それはこの映画を観た人に直接口で説明(熱弁)したいので詳述はなるべく避けるつもりだが、ここから先は長くなるので忙しい人のためにまず結論を。

「この映画を観て絶対損はありません!笑います!猫好きは必見!猫がかわいくてコミカルでかっこいいです!」


 ジャンルをあえて当てはめるなら、“下町人情コメディ”と呼ぶしかない。がしかし、俺に言わせてみればこれは“偉大なる猫映画”である!!これほどまでに猫がいい味を出している映画を俺はほかに知らない。(あえて言うなら、押井守監督時代のテレビ版『うる星やつら』におけるコタツネコとトラジマの存在感はこの映画の猫演出に近いものを感じた。もしかしたら押井さんがこの映画を参考にしたのかも?)

 猫とは何か。猫とは猫である。猫の良さとは何か。それは猫らしさである。しかし、アニメにおけるキャラクターとしての猫に関してはその限りではない。徹底的に猫らしく、しなやかな身のこなし、人間に媚びない態度などを描いた上で、その猫が急に二足歩行をしたり、腕組みをしたり、人語を解するかのような反応をしたりするとどうなるか。そう、そこには笑いが生まれる。本来あるべきものが見る者の予想に反する様相を呈した時、驚きと共に笑いが生じる。また、この効果をさらに強めるために、そして人間的行動を何回繰り返しても観客に飽きられないようにするためにはどうすればいいか。そのためには猫を取り巻く人間キャラクターが猫を人格を持った人間として扱うと同時に単なる動物・ペットとして猫を扱うということを絶妙なバランスで両方行えばいいのである。“猫のようで猫でなく、人のようで人でない、が、やっぱり猫”状態を作り出すのだ。そうすれば、その猫が妙に猫らしい動きをしても、人間みたいな動きをしても滑稽に見えてくるのだ。

 ・・・というのはまぁ半分冗談で、とにかく面白い!笑える!そりゃ人情モノだからしんみりする所もある。この映画の優れているところは、人情モノだからといって過剰に“お涙頂戴”を満載したり、劇場版だからといってやけにスケールのデカイ話にしたりすることなく、ギャグと笑いをいっぱいに詰め込みながらも、人情路線とギャグ路線のバランスが取れた娯楽映画として成立している点である。こんな素晴らしい映画を現代の日本映画界(特に実写)が生み出すことができるだろうか!!さすが高畑勲監督である。

 他にも作画や背景美術、音楽、脚本など褒めようと思えばキリが無いので、最後にキャスティングについて。この映画には「声優として豪華芸能人が多数出演しています!」・・・と聞くとどうもマイナスイメージを抱いてしまいそうになるが、もちろんこの映画は現代にありがちな忌むべき話題性優先のキャスティングとは一線を画している。その豪華有名人とは、西川のりお芦屋雁之助、桂 三枝、笑福亭仁鶴島田紳助松本竜介オール阪神・巨人ザ・ぼんち横山やすし西川きよしといった吉本を代表する人気お笑い芸人たちなのである!彼らがこの映画にもたらしたものはもちろん話題性もあるが、さらに大きかったのは“ホンモノの大阪弁”である。映画の舞台は大阪の下町。素朴さと人情味と生活感といい具合のガサツさを併せ持った大阪弁を嘘臭くなく喋るというのはいくらプロ声優であろうとも、生まれたときから大阪弁に慣れ親しんできた大阪吉本芸人たちには適わない。というわけで、この吉本芸人たちの素晴らしい演技はこの映画の大きな魅力の一つとなっている。そしてこの映画最大の魅力である猫の声をなんと、やすきよの2人が担当しているのである!このコンビがまたいい味出していて最高である。

「アニメがジブリとオタクだけのものになる前の時代が生んだ名作です。」と言わせてもらいます。


 もちろんアニメがジブリとオタクだけのものになったというのは極端な表現だが、あながち的外れでもないと思う。アニメは時代を経て様々なジャンルを扱うようになり、CGなどコンピューター技術を得ることで表現の幅を広げたはずだが、かつてのアニメが持っていた“普遍性”を失いつつあると思える。そのかわりに押井守今敏などが大人向けの“実写を超えるアニメ映画”を次々と世に送り出し、アニメの新たな可能性を見せつけ、海外で高い評価を得た。しかし、子供向けとは決して言えない彼らの作品がジブリアニメのように大ヒットすることは当然なく、国内でそれほど高い評価を受けることもなく、一部の映画ファンやアニメファンたちにしか愛好されていないという状況は少し寂しい。

 要するに、何が言いたいのかというと、この『じゃりン子チエ』のように子供から大人までが楽しめるような“普遍的娯楽映画”を生み出す力が本当にもうアニメには無いのか?ということ。俺はまだ希望を捨てていない。今敏監督の次回作はそういった普遍的なものになるとかならないとか(現時点では情報はほとんど出されていない)、もしかしたら今監督最大のヒットになるかも?

 少なくともアニメ邦画界は実写邦画界ほど腐ってはいない。がんばれアニメ!俺は応援しているぞ!

コヨーテ・ア・ゴーゴー

プライベート色をなるべく取り除いた日記

最近入手したP-MODELのライヴDVD『三界の人体地図』を紹介しよう。これは1988年に行われたライヴを記録した作品。名曲がびっしり詰まった最高の演奏だ。メンバー全員の個性が爆発していて、熱い!平沢進さんの歌とギター&ギターシンセは神々しく鳴り響き、中野照夫さんのベースがサイコーに変態的でクールだ。どのあたりがかっこいいのか、それを語るには時間が足りないので省略。ホントにホントにかっこいい!(俺の中では)ライヴ映像作品としてはNUMBER GIRLの『シブヤROCKTRANSFORMED状態』に匹敵するかっこよさだ!買って損無し、一家に一枚!

同じく最近入手したマンドレイクのアルバム『アンリリースト・マテリアルズ VOL.1』を聴いた。目が回るような変拍子と次から次へめまぐるしく展開する複雑な構成を持った長尺の曲はまさにプログレ。そのかっこよさにシビれると同時に俺は驚愕した。マンドレイクとは平沢進さんがP-MODELを結成する前、73年から78年までやっていたプログレ・バンドである。P-MODELとは全く違った音楽性を持っていた。1枚も音源を残さなかったこのバンドのデモ音源やライヴ音源を収めたものがこのアルバムだ。俺が驚いたのは70年代にこんなテクニックとセンスを持ったプログレッシヴ・ロック・バンドが日本に存在していたなんて夢にも思っていなかったからだ。結成当時、平沢さんはまだ大学生、なのに何なんだこの技量と発想の豊かさは!平沢さんにはとてつもないカリスマ性を感じていたけど、こんなに若い頃から既に天才丸出しだったのか。とにかく、(特にプログレ好きは)これを聴けばヨダレと鼻水を流して感動し炎上すること間違い無しでしょう。

マンドレイクP-MODELヒカシューあぶらだこ・・・、自由で個性に満ちた音楽をやっている人たちには国や時代なんて関係ない。スゴイ人たちは昔からスゴイ。常識という鎖を引きちぎっているのがわかる。彼らの昔の音源を聴いていると、現代の若者はもっとがんばらなきゃいかん、と思うと同時に情けない気持ちにもなる。ある程度の秩序やバランスが芸術には必要ではあるけれど、「こんなことしたら伝わらないんじゃないか。もっとわかりやすくするべきじゃないか。」などとあまりにも考えすぎるのもつまらないと俺は思う。少なくとも映画に比べたら、音楽や絵などは作るだけならほとんど何の制約も無いに等しいんだから、みんなもっと自由にやってもよさそうだと思うんだけどナァ。

上記の『三界の人体地図』の映像がYouTubeなどにアップされている。削除されていないのはもしかしたらこういった動画を見てからDVDを買う人がいることを見越した判断なのだろうか。かく言う私もその一人である。YouTubeが無かったらこのDVDの存在を知ることは無かっただろう。
さあ、あなたも・・・。



Tour Matsuri Session 12.16 DRUM LOGOS

ZAZEN BOYSのライヴに行ってきた。

このKIMOCHIを文字に、言葉にするなんて・・・できない!

 1. Idiot Funk
 2. SUGAR MAN
 3. HIMITSU GIRL'S TOP SECRET
 4. Honnoji
 5. Weekend
 6. MABOROSHI IN MY BLOOD
 7. IKASAMA LOVE
 8. DARUMA
 9. Fureai
 10. 安眠棒
 11. You make me feel so bad
 12. Asobi
 13. I Don’t Wanna Be With You
 14. KIMOCHI
 15. COLD BEAT
 16. FRIDAY NIGHT
 17. RIFF MAN
EN1. Memories
EN2. Sabaku

毎回ザゼンのライヴに行く際には「きっとスゴくパワーアップしてるんだろうなぁ。」という予想と期待をしておくのだが、その予想と期待はいつも必ず裏切られる。なぜなら、そんな予想や期待など遥かに超越した姿を毎回見せ付けられるからだ!

平凡にして凡庸な、しかし適切な一言で彼らの音楽を表そう。

「かっこいい!!」

ライヴレポートというものは非常に苦手だ。もともと、音楽だけでなく映画などのあらゆる芸術・表現に対する感想・感情というものは観る者・聴く者の心の中にのみ生じるものであり、所詮恣意的記号に過ぎない言葉に変換された感情など劣化した微量の情報に他ならない。

ライヴを見ての感想を「かっこいい」という言葉にしてしまった瞬間、あの時確かに体験し、今の今まで心の中に残っていたはずの数多の複雑な感情、例えば「キモチイイ」「切ない」「鳥肌が立つ」「酩酊感」「焦燥感」といった渾沌とした感情は「かっこいい」という言葉によって掻き消され、誰にも伝えられることなく話者(筆者)の心の中に永遠に留まることになるのだ。

だからといって、言葉が無意味だとか、分かり合おうとすることが虚しいなどと言うつもりはない。ただ、同じ気持ちを共有したいのなら、まずは同じものを見たり聴いたりしてみよう。そして、どんなふうに見えたか、どんなふうに聴こえたか、どんなふうに感じたのかについて言葉を尽くして語り合えばいい。全てはそれからだ。

・・・俺は一体何が言いたいんだろうか。それは多分、「ZAZEN BOYSのライヴは見に行かなきゃ絶対に損だ!」という押し付けがましくも確信に満ちた言葉なのかもしれない。彼らこそ絶対的に支持できるバンドだと俺は信じているから・・・。

12月24日(水)には長野でZAZEN BOYSのライヴがあるのだが、うちのバンド、つまりOOPARTSのメンバーにはぜひ彼らの姿を見て何かを感じ、多くのことを学び取ってもらいたいという衝動に駆られたが、社会人にとって“平日”というものが如何に大きな脅威であるかは想像に難くない。それはそれとして、誰かと一緒に「あのベースソロがさぁ・・・」「あの曲のアレンジが変わってて・・・」などと誰かと一緒に語り合いたいという気持ちも大いに感じている。


素晴らしいこの夜に水を差したいわけではないが、今夜のライヴだけでなく、あらゆるライヴにおいて常々俺が不快に感じている人間たちについて少しここに書き記しておきたい。

ライヴには老若男女、友達恋人、様々な種類の人間、様々な関係を持つグループが訪れるわけだが、俺がいつも眉をひそめてガンを飛ばしそうになる者たちがいる。それは、(バ)カップルだ!いや、ア(ホ)ベックと言っておこう。いやいや、カップルでいいか。なぜここまで俺がカップルを嫌悪するか、それは大概のカップルが“男の方だけが本当にライヴを見たくて、女の方は大して興味を持っていない”という性質を備えているからだ。お互いを本当に好きでいられるたった一人の異性と巡り会えるだけで神に感謝する程の幸運だというのに、その二人が趣味まで共有できるなどというのは計り知れない幸運である。趣味の合っているカップルが存在しないとまでは言い切らないが、明らかに“趣味は合わないが一応相手に合わせている”という様子のカップルがよく目に付く。

ここからは全くの俺の想像&妄想だが、まず男が彼女に自分のセンスの良さをアピールするためという不順な動機か、または彼女に自分が素晴らしいと思う世界を見せてあげたいという純粋な動機のもとに「ザゼンってかっこいいよ。ライヴ行こうぜ。」と彼女を誘う。それに対し彼女は心の中で「はぁ?ザゼン?知らねーよ。エグザイルの方がいいよ。」と思いつつ、この誘いを断ることで二人の間に亀裂が生じるのではないかという恐怖に突き動かされるか、もしくはこれを機にさらに彼氏の気を惹こうと画策するかして、「いいよ。」と答える。そしてライヴ当日、彼女を連れてきたはいいが、エグザイル好きな彼女は10 分で我慢の限界、もはやステージ上で奏でられる音楽には微塵の関心もなくなり、彼氏の方を見たり周りをキョロキョロしたりして落ち着きをなくしてくる。そしてその様子を察知した彼氏は横目で彼女を窺いつつ、「やっぱり連れてこなければよかった。」と己の軽率な行動への後悔の念に苛まれ、こちらももはやステージには集中できなくなってくる。かくして彼はライヴ終了後に二人の間に訪れるであろう重く気まずい空気の打開策に頭を悩ますことになるのだ。嗚呼、これぞ青春の光と影!の影の部分!

俺の妄想はどうでもいいとして、バンドが演奏している最中に興味なさげな人間にキョロキョロされると目障り至極だ。特に俺の目の前にいて後ろを向かれると、こちらは目が合いそうになるのを避けながらステージを見なければならず、それが女性だった場合は最悪のケースになるということは言うまでもない。

カップル以外にも目障りなやつらはいる。それは“知ったかぶり野郎&主体性がなく流されやすい野郎”の組み合わせだ。こういうケースでは男友達同士というのがほとんどだ。彼らの特徴とはどんなものか。まず、知ったかぶり野郎とは読んで字の如く、自分の知識やセンスの良さを相手にアピールしようとしているにも関わらず、大した知識もセンスもなく、あまつさえ間違った情報を偉そうに話していたりする人間だ。そして、主体性がなく流されやすいやつとは知ったかぶり野郎の強引な誘いを断りきれずライヴに連れてこられた挙句、聞きたくもないウンチクを延々ライヴ開始までの間ずっと聞かされることになる人間だ。“流される”といっても別に知ったかぶり野郎に感化されるわけではなく、心の中では「うぜーなぁ。」と思いつつも、知ったかぶり野郎の調子に合わせておくことで己の友人の数が減るリスクを回避したつもりになって安心している輩だ。そして、知ったかぶり野郎はそんな彼の心中を察するような人並みの繊細さは残念ながら持ち合わせてはいない。合掌。

さらに付け加えるなら、知ったかぶり野郎は大概、自分が見に来たライヴに出演するバンドのメンバーを「向井はさー・・・」などと呼び捨てにしている場合がほとんどだ。嗚呼、自己顕示欲と自惚れと傲慢と不遜が彼らのステータス!


恋人も友人も、自分を偽ってまで手に入れなければならないものなのだろうか。そして、本当の愛や友情とは一体どんなものなのか。・・・という高尚な思索を巡らすのも悪くはないが、今は眉唾物の空虚な愛や友情のダシに純粋で崇高なはずの芸術が利用されることが許せないのだ。

ART FOR ART'S SAKE

Wonderful Bassmen

私の考える日本四大ベーシストについて少し語ろう

射守矢雄 (bloodthirsty butchers)

“唯一無二”という言葉はこの人のためにあるのではなかろうか。私がブッチャーズを初めて聴いた時、まず耳に飛び込んできたのはそれまでに全く聴いたことのない個性的なベースの音色だった。弾いているのはエレキベース以外の何物でもないのだが、そこから奏でられる音の広がりと深みはまるでオーケストラのようだ。その深みを生み出しているのは彼独特のコード弾き&アルペジオだ。演奏の要所要所でコード弾きやアルペジオを使用するベーシストはいくらでもいるが、彼の場合は演奏の大部分で複数の弦を鳴らしている。このバンドのリーダーでありギターヴォーカルの吉村さんをして「俺のギターは射守矢のベースにただ被せてるだけ。このバンドの要はベース。」と言わしめるほどバンドアンサンブルに占める割合が一般的なバンドに比べ遥かに大きい。だからこそ吉村さんの自由奔放で即興的なギタープレイが発揮できるのだろう。

おススメCDは『未完成』!、『kocorono』、『banging the drum』。

平松学 (fOUL)

嗚呼、ワンダフル、アメイジング、インクレディブル、アンビリーバブル、ビューティフル・・・彼のベースプレイを形容するには一体どんな言葉を使ったらいいのだろう?奇妙なのにメロディアス。攻撃的なのに優しい。悪魔的なのに神々しい。雄大な自然、荘厳な大聖堂、漆黒の宇宙・・・、そのベースの音色にには聴く者にあらゆる風景を見せ、異世界へといざなう魔力がある。明らかに射守矢さんに影響を受けたと思しきコード弾き&アルペジオを使用しているが(彼自身ブッチャーズの大ファンである)、射守矢さんほどその使用頻度は高くない。コード弾きでも単音弾きでも決してブレることのない“平松節”と呼ぶしかない個性的で変態的なフレーズが最大の魅力。「ベースにこんな使い方があったのか!」と驚くこと必至の奇想天外な音世界。今「一番好きなベーシストは?」と私が尋ねられたら、「射守矢さんと平松さん。」と答えるしかないであろう。

おススメCDは『Dostoevsky Groove』!、『Husserliana』、『煉獄のなかで』。


二宮友和 (eastern youth)

この四人の中では最も技巧派と呼びうるベースプレイヤーではなかろうか。フレットレスの指板の上を縦横無尽に、そして正確無比に動き回る指使いにライヴでは見とれてしまうこと必至だ。イースタンユースに加入する前はギタリストだったというのが信じられないほど真っ当なベーシストにも思えるが、過剰なまでに作り込まれたフレーズをいとも簡単そうに弾きこなしてしまうあたりは天才的な音楽的勘を持った稀有なベーシストであることを感じさせる。フレットレスを生かした柔らかな音から、パーカッシヴな音、太い低音、鮮やかなコード弾きなど、ありとあらゆるテクニックを抜群のセンスで駆使し、楽曲に躍動感と情感を与える。あれだけのテクニックがあればスタジオミュージシャンにもなれそうな気もするが、それでもイースタンで弾き続ける姿勢がかっこいい。自身がリーダーを務めるバンド“ひょうたん”ではギターヴォーカルとして活躍している。

おススメCDは『感受性応答セヨ』!、『365歩のブルース』、『孤立無援の花』。


小町裕 (あぶらだこ)

83年のバンド結成当初から現在に至るまであぶらだこを支えるベーシスト。全ての作詞とほぼ全ての作曲をするヴォーカルの長谷川裕倫さんを除けば唯一のオリジナルメンバー。複雑怪奇なあぶらだこの楽曲を弾きこなす技術と記憶力と体力を兼ね備えた人間自体この世界には少ないだろうが、個性豊かなメンバーの中でも彼は特に代替の利かない人材であろう。あぶらだこの特徴の一つにギターとベースのユニゾンを多用しているという点が挙げられるが、ギターで弾くのも大変な複雑かつ高速のフレーズを仁王立ちで堂々と弾きこなす彼の姿はとても素敵だ。また、ギターとのユニゾンではない場面では小町さんの個性がさらに光る。特に名盤『あぶらだこ』(亀盤)では美しすぎるベースのメロディが存分に楽しめる。

おススメCDは『あぶらだこ』(通称:亀盤)!、『あぶらだこ』(青盤)、『あぶらだこ』(舟盤)


亀盤収録の名曲『秘境にて』をベースでコピーするという猛者の動画はこちら(スゴイ・・・)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1326540

素晴らしい世界

魂の洗濯に行ってきた。

心の充電に行ってきた。

生を実感しに行った。

そう、今日はeastern youthのライヴに行ったのだ!


 会場に入ると同時に、日本ロック・ベーシスト四天王(俺調べ)の一人である二宮さんの正面(といっても最前列ではない)のポジションを確保し、開演を待った。床が一段高くなっていて、二宮さんはもちろん、田森さんも吉野さんも、まんべんなく見渡せる絶好のポジションだ。

 そして開演。1曲目からウルッと来るよ。最近涙もろいせいかしら。いや、いい歌だからさ。

 やっぱり、二宮さんのベース・プレイから目が離せなかった。何なんだろう、あの圧倒的なセンスは。ベースを知り尽くしているというか、ベースと身体が合体しているというか・・・とにかく巧い。「こんな弾き方があったのか!」というようなテクニックや、目にもとまらぬ指運び。フレットレス・ベースから放たれる音はまるで生き物のよう。樹齢二千年の巨木のように優しく、壮大な大地のように力強い。男として惚れます。

 『夜明けの歌』で始まり・・・『夏の日の午後』〜『素晴らしい世界』で本編は幕を閉じ・・・アンコールは「俺たちにとって特別な曲」という言葉と共に『裸足で行かざるを得ない』を演奏して終了・・・。イースタンのファンにとっては感涙感激垂涎のセットリスト。まさに20周年にふさわしい選曲だったと思う。

 そして俺は、また今夜も、「生きていて良かった。」と思い、一瞬だけ「今死んでも悔いは無い。」と思い、最後には「これからも生きていこうか。」と思って家に帰っていくのだった。

極東最前線/巡業〜スットコドッコイ20年
10月1日福岡DRUM Be-1

セットリスト(中盤の曲順がやや曖昧)

・夜明けの歌
・沸点36℃
・世界は割れ響く耳鳴りのようだ
・泥濘に住む男
・雨曝しなら濡れるがいいさ
・野良犬、走る
・秋風と野郎達
・街はふるさと
・踵鳴る
・矯正視力0.六
・東京
・荒野に針路を取れ
・夏の日の午後
・素晴らしい世界
〜アンコール〜
・裸足で行かざるを得ない

・・・そしてツアーはまだまだ続く。

2008/10/3(金) 心斎橋 クラブクアトロ

2008/10/4(土) 名古屋 クラブクアトロ

2008/10/7(火) 仙台 CLUB JUNK BOX

2008/10/9(木) 弘前 Mag Net

2008/10/11(土) 札幌 ペニーレーン24

2008/10/24(金) 東京 SHIBUYA-AX