遮る邪魔な憂鬱は

 『窓ぎわのトットちゃん』を読み終わったばかりの俺の耳に飛び込んできたニュースが「モンスターペアレントの苦情に追い詰められ、自分に灯油をかけ焼身自殺した市立保育所女性所長について、苦情対応によるストレスで発症したうつ病が自殺の原因として公務災害と認定した。」というものだった。こんなニュースを小林先生が聞いたらどんなに悲しむことだろう。

 日本国内だけでも750万部を売り上げた『トットちゃん』でもこの悲劇は止められなかった。750万部売れたからといって、750万人の心に届いたというわけではないのか。

 「感動した。泣いた。」などと軽々しく言う人は多くても、その感動から学び取ったものを自分の人生に反映させている人はそんなに多くはないのかもしれない。そもそも“感動”という言葉の意味のとらえ方に大きな温度差があるのだろう。

 世の中には良い本がたくさんあるのに、見習うべき立派な人がたくさんいるのに、人はますます賢くなっていけるはずなのに、どうして愚かになっていくのだろう、どうして繰り返すのだろう。

 少なくとも俺は、自分が見たり聴いたり読んだりして“感動”したものは自分の人生、思想、生き方に大きな影響を与えているものだと信じている。映画も、音楽も、本も、人も。

 エンターテインメント上等。だけど、もう少し真剣に向かい合ってもいいんじゃないか?もっと真に受けてもいいんじゃないか?お笑いだって人を、文化を、社会を、世界を変えていく力を持っているんだから。