自決

neko-vs2007-06-13

HANA-BI [DVD]

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北野武監督映画『HANA-BI』を観た。これで2回目だ。

夫婦愛の映画なんだと思う。友情の映画なんだと思う。自責の映画なんだと思う。諦念の映画なんだと思う。生と死の映画なんだと思う。諸行無常の映画なんだと思う。愛の映画なんだと思う。

主演のたけしさん演じる西は、無口で必要以上のことを喋らないが、表情と佇まいだけで言葉よりも多くのことを語る。そして西の妻を演じた岸本加世子さんは、最後の最後まで台詞が全く無く、笑い声や驚く声、そして豊かな表情のみで夫への愛情や不治の病への向き合い方を表現していた。そして物語のラストに西の妻が口にした言葉に、俺の目に涙が湧き出てきた。前回観た時は涙なんて出なかったのに。観る度に違う感じ方ができるような映画こそ、いい映画だと思う。

西と妻が数ヶ月前に幼い子供を亡くしたという事実は登場人物の会話の中でしか触れられてはいない。それでも、その子が生きていた頃はきっと西もかわいがってやっていたんだろうな、と容易に想像ができた。無口で凶暴で無愛想に見える西の内なる優しさと家族愛が、死を待つしかない妻と共に残された時間を楽しく過ごしている姿から溢れ出ているからなのだろう。

この映画の西や『その男、凶暴につき』の我妻たちから凶暴性を取り除いたら、『菊次郎の夏』の菊次郎のような優しくてひょうきんなおじさんになるのかもしれないと思った。

前回観た時にはあまり気に留めていなかったが、劇中に登場する挿入画に赤い絵の具で書かれた“自決”の文字が今回は強烈に印象に残った。そして自決という言葉をよく考えてみた。

“自分で決める”と書いて自決。俺はここ数年で“人は、生まれ育つ環境どころか、この世に生まれてくるかこないかさえ自分で決めることはできない”という一つの結論に達したのだが、この考え方の裏に存在する“人間のほかの動物との決定的な違いは、己自身のための死を自ら選び実行することができるところだ”という考え方が“自決”という言葉と強く結びついて感じられたのだ。これは別に自殺を肯定する考え方だというわけではない。

「死を選択できる自由があるからこそ、死を選ばずに生きているということに価値がある。」ということが言いたいのだ、俺は、多分。(今この文章こ書いていて気付いたが、去年放送された『たけしの日本教育白書2006』という番組の最後に、たけしさんがこれとほぼ同じことを言っていたような気がする。たけしさんの作った映画を観て思ったことが、たけしさん自身の言葉と一致した、というのはむしろ当然だといえよう。)

もう一度言う。観る度に違う感じ方ができるような映画こそ、いい映画だと思う。

だから、次にこの映画を観る時、自分が何を感じ、何を思うのか、今は全く見当もつかない。

だから、人間やめられない。