有無相生 (昨日の続き)

 番組の内容と、例えば少年犯罪の数との因果関係を調査し、ハッキリさせ、ガイドラインを作り、正式な段階を踏んで行われる規制ならばある程度納得はいくけどねぇ。今の状況はテレビ側がクレーマーやPTAの圧力に怯えているだけにしか思えないけどねぇ。

 例えばどういう番組がどういう根拠で教育に良くないとされているのか、そこらへんをハッキリしてほしいよね。例えば、食べ物を投げたりして笑いをとる、ということが昔に比べて非常にやりづらくなっている。仮にそのようなことをしたとしても、画面の下に「この後スタッフが全ておいしくいただきました」などと余計なテロップを表示する。これはつまり、「あんた!あんなふうに食べ物粗末にしたらあかんやないの!」というクレームに対する防御策である。しかし、食べ物を使って笑いを取ることが“食べ物を粗末にすること”なのだろうか?食べ残しやら何やらでさんざん食べ物を無駄に捨てまくっているくせに、“誰の口にも入らなかったけど、みんなを楽しませるという役割を果たした食べ物”は、はたして粗末にされたということになるのだろうか?

 暴力を徹底的にテレビから排除する一方で、何故か、いつの間にか、この国の大晦日の風物詩は歌合戦から格闘技へと移り変わり、年の瀬に家族団らんで男同士の殴り合いを見ることが当たり前になっている。奇妙な話だよ、まったく。“格闘技”という名前が付けば正当化され人々の興味の対象となり、何の名前も持たない暴力は“暴力”でしかないとされ忌み嫌われる。ドリフターズが一斗缶で人の頭を殴って笑わせてるのと、リングの上で殴り合いをさせてその様子を楽しむこと、この二つに一体何の違いがあるというのか?(かつてドリフの『8時だヨ!全員集合』は“子どもに見せたくない番組”のトップ常連だった)

 所詮、“何が良くて、何が悪いか”、“何故良いのか、何故悪いのか”なんてことを深く考えもせず、ただ「なんとなく良いっぽい。なんとなく悪いっぽい。」という浅墓で無責任な考えで「あれが悪い。これは良い。」などと言っている輩がほとんどなのだ、きっと。風潮と世論の波に流されて。そしてそんなやつらの安っぽい“真実”とやらは容易に変質し、昨日までのヒーローが今日になれば極悪人扱い、なんてことはザラにある。
 
 俺が一番問題視しているのは、人々がテレビというものを過信しているということだ。俺はもっとテレビを疑い、耳を貸さず、半信半疑で接するべきだと思う。脚色と演出まみれで真実を歪曲して伝えるニュースはもちろん、虚構であることが前提のドラマや作り物であることが当たり前のバラエティ番組の映像を“真に受けすぎ”なんだ。どんなに偉い学者先生が言っていることだろうと、どんなに厳正に行われた世論調査の結果だろうと、テレビが発信する情報のほとんどは嘘なんだって思うことが大事なんだよ。

 もともと、映画も、テレビも、“絵や写真が動く、魔法の道具”に過ぎなかったんだ。そのテレビに過大な“権威”を与えてしまったがために、大人だろうが子供だろうが影響と呼ぶには生ぬるい、洗脳と呼ぶべき多大な影響を受けるようになってしまったんじゃないかな?“人はテレビにどうしても影響されてしまうのは仕方が無い。だからテレビをクリーンにすればいい。”という考えが正しいとされたならば、ますますテレビの影響力は強力になっていき、思想誘導などに利用される傾向がますます強くなると思うがね。おそらくそれは今も行われていて、誘導する側もされる側も、その多くが無自覚なんだろうが。

 規制という手段をとるならば、“ある一定の年齢に達しないと試聴できない番組を設定する”とか、逆の方向からのアプローチの方が効果があるのではなかろうか。子供の精神が未発達だとするならば、所詮、大人や親の監視を緩くしておきながら子供の健全な成長を望むというのは、到底無理な話じゃないか。テレビがクリーンになれば必ず大人は安心して子供をテレビに預けるだろう。そしていつの日か、子供をテレビに“奪われる”だろう。

 問題点を“テレビの粗悪さ”に置くか、それとも“家庭と学校の教育環境の劣悪さ”に置くか、どちらか一つ選ぶとしたら、おそらく多くの人が後者を選ぶだろう。“テレビを良くすれば子供は安全だ”なんて考えは、“自動車を完全に排除すれば子供は交通事故にあわなくなる”と言っているようなものだ。自分で自分の身を守る術、すなわち、テレビに騙されない心を育むためにはどうしたらいいかについての議論こそが今なされるべきだ。

 10年前、20年前に比べて、いわゆる“イジメを助長しそうな番組”や“暴力を肯定しているかのような番組”は明らかに減っている。しかし、たけし軍団がテレビで大暴れしていた時代より現代の方が子供たちの暴力性が無くなっているのか?日本刀で人の首を切断して民衆の晒し者にしていた時代より現代の方が平和で心豊かな社会なのか?

 俺が気に入らないのは、規制や自粛が増えたこと自体じゃなく、その規制や自粛の内容なんだ。ハッキリ言って、大多数の人が「これはいい番組だ。」なんて言ってる番組ほど胡散臭いものはない。がんばれロンドンハーツ!


「疑似体験も夢も、存在する情報は全て現実であり、そして幻なんだ。」


 まったくよー、この世は嘘だらけだっていうのに、人に、言葉に、テレビに“揺るぎない真実”のようなものを期待しているヤツが多すぎるんでないの?みんな嘘なのよ?だって、みんな、神はいるのか、宇宙とは何なのか、自分とは一体何者なのか、なーんにも知らないんだから。知らなくても問題無く生きていられるんだから。もっといい加減に生きればいいんだ。何だかよくわからない脳みそで考え、何だかよくわからない言葉を使って、何だかよくわからない世界で生きていくしかないのよ。例えこの世界が神様の虫籠の中の出来事、あるいは宇宙人の生命進化実験室の中の出来事だったとしてもだ。これが夢で、明日目が覚めて、全く別の人間として、全く別の世界で生きていくことになろうとも、今こうして思いのたけをダラダラとタイピングしている俺は確かにここにいるんだから。神様か誰だか知らない“監督”の「カット!」という声が聞こえるまでは、この“峯村潤”という役を演じ続けるほか無いのだ。「人生は舞台。人は皆役者。」シェイクスピアもいいこと言うね。

 選択肢は“to be or not to be”しかないってね。